大切に生きる
昨日、おじいちゃんのお見舞いに行ってきた。
肩で息をしていて、前回行ったときよりしんどそうながら、必死に生きていた。
私たちがたくさん声をかけたから?
ちゃんとみんなの顔をみたいと思ったのかな?
左目だけを開けていた。
びっくりした。声をかけると、かすかやけど、黒目が動いた。
おじいちゃんの周りには、たくさんの人がかけつけた。
皆も、必死におじいちゃんに話しかけた。
おじいちゃんとの思い出を思い返すと、よく笑った記憶ばかりが、たくさん愛情注いでもらった記憶ばかりが、思い出された。
おじいちゃんを囲みながら、みんなで「こんなことあったよね〜」と談笑したりもした。
おじいちゃんは、本当に、一生懸命周りに愛情を注いできた人やんやなぁと、痛感した。
そんな、一生懸命に愛情いっぱいで生きたおじいちゃんでさえ、もう一日、もう一日と、必死に生きている。
おじいちゃんが生きていることを、当たり前に思っていたけど、当たり前ではなく、おじいちゃんが一生懸命生きてきてくれたからの、今なんだろうなぁ、と。
生きていることが当たり前だと錯覚してしまうけど、そうじゃない。
せっかく、有難いことに生きているんやから、愛する人との時間を大切にする。
愛情溢れる生活を送る。
そんなことを、大切に生きていく。
社会で生きている以上、何かしらの仕事を通して人と接することもある。
それやって、愛情いっぱいに、たくさんの人が幸せになるように、生きる。
そんなことを思った、休日でした。
今日からまたお仕事、頑張る。
昏睡状態のおじいちゃんが教えてくれた「生きる」ということ
大好きなおじいちゃんが、脳梗塞を起こし、意識がもう戻らない状態だと言われました。
いつ、どうなるか分からないらしい。
急遽、お休みをいただき、旦那さんも東京から来てもらい、病院へ。
病室には、昏睡状態のおじいちゃんがいました。おじいちゃんのもとには、たくさんの人がかけつけました。
おじいちゃんは、たくさんの趣味があります。
釣り、山、音楽、機械いじり、庭いじり…。
お相撲を見るのも好きだね。
色んなことを良く知っていて、私に色んな世界を見せてくれました。そして、また、私が見て来た世界をシェアすると、それに対して興味を持ち、楽しそうに聞いてくれます。
私の知っているおじいちゃんは、口数がとても多いわけではないけど、よく笑い、人の話をよく覚えている人。いつも楽しそうに人との思い出話を語ってくれます。
自分が触れることや、出逢った人のことを、よく知ろうよく知ろう、と、好奇心旺盛な人です。
きっと、1つ1つの物事、1人1人の人を、大切に大切にするという、そんな信念があるんだろうなぁ。
昏睡状態のおじいちゃんは、何かを伝えたそうでした。多分、私たちの声は聞こえているんだと思う。
今もなお、毎日を、丁寧に、一生懸命に生きてるおじいちゃん。もっと知りたい、もっと聞きたい、もっと愛したい…そんなおじいちゃんの気持ちが、見てとれるようでした。そうは思っても、うまく動けなくなって、とても歯痒い気持ちなんだろうな、と思います。
私は、今とても健康で、愛する人にも囲まれている。
おじいちゃんの、その想いを、私が代わりに行動にして、またおじいちゃんに、私が見て来た世界をシェアしてあげたら、
きっと、おじいちゃんも喜んでくれるやろぉな。
ずっと、私が笑顔でいることを、見守ってくれているおじいちゃん。私のことを守ってくれる旦那さんが現れるまで、必死に私の幸せを願ってくれていたんだろうね。ありがとう。
少しは、安心してくれたかな。私はこれから、しっかり、おじいちゃんの想いを引き継いで、力強く、優しく、笑顔で生きていくね。
おじいちゃんも、今は寝たきりかもしれないけど、まだまだ、自分の人生、全うしてね。
時間は無限なんやなくて、増減する
昨日の記事に、時間は有限で、お金は稼げば稼ぐほど生まれるって書いたけど、
ほな、お金も時間もあればめっちゃええやん。って話になると思う。
そこに、自分で書いて起きながら違和感あったから、もう少し考えてみた。
お金は無限
時間は有限
なんやなくて、
お金は増減する
時間は一定
なんかな、と。
お金は、稼げば稼ぐほど生まれるけど、使えば使うほど減る。
やから、当たり前やけど、たとえ大金持ちなっても、大量に物を買ったりしてたら、無くなる。
時間は違って、万人が1日24時間という限られた時間の中で生きている。どんなけ大金はたいても、24時間ということには変わりない。
となると、その限られた時間をどう使うかって、めっちゃ大切。
幸せに生きたい思って、お金を稼ぐために、自分が嫌やと思うことにほとんどの時間を費やして毎日過ごす…そんな生活ってどうやねんろ。
お金は無限?時間は有限。
今読んでいる本に、印象的なことが書いてあった。
お金は稼げば稼ぐほど出てくるけど、時間は24時間と有限。
てこと。
なるほど。こう見たら、時間の方が貴重やし、時間をゆっくり使えることほど豊かなことはないかもしれん。
そして、お金に関して言うと、手元のお金って、入る分−使う分って式で成り立ってるから、無駄遣いせんかったら、別に大儲けせんでも十分にやっていけるやけやわ。収入なりの支出にすれば問題なく生きていける。
となると。
お金のためだけに働くって、1番勿体無いことやなー、と。
働くと同時に充実感を味わうことって、大切やなー、と。
削ぎ落として、整える
昨日、マツエクを取り外してきた。
両親や、祖父母に「マツエクない方がいい」と言われても、正直「はいはい」と聞き流していたのですが(笑)、
先日、とても信頼を置いてる、化粧品会社で美容部員として働いている友人にも、「絶対ない方がいい」と言われたので、取ってみた。
そして鏡を見てみたら…
物足りない( ; ; )
今までフサフサに生えていた(移植していた)まつけがなくなり、マツエクシックに。
しかし、友人にも両親にも「丁寧に化粧をすれば、絶対にいいから」と言われ、昨晩は目元周りのマッサージをし、今朝いつもの何倍も丁寧にアイメイクをしました。
そしたら、すごく自然やな仕上がりになった…!物足りひん思ってたけど、なんか、こっちの方が私らしいなって感覚。しっくりくるというか。
これって、まつげに限ったことではないんかなぁと。
今の時代、お金さえ出せば何でも手に入る。でも、だからこそ1つ1つを丁寧に扱うことが薄れていってしまっている。
もっと!もっと!と、よく任せにあれやこれやと手に入れた状態は、重い鎧を被っているよう。
それって、何だか不健全やないかな。
身の回りにある「もの」「こと」を丁寧に丁寧に使って、長く一緒にいることの方が、よっぽど自分らしくていい気がする。
ということで、これからはしばらくマツエクフリーで生活します(^_^)
「悩む」をやめるには
「悩む」時間って、すんごい無駄やなぁ。と。
私は、結構色んなことにクヨクヨ悩みがち。笑
もっとこうしたいのに…とか、本当はどうなりたいんだろう?とか、どうしていけばいいんやろ…とか。笑
そしたらある日、言われました。
「よくモヤモヤ悩んでるよな」と。
Σ(゚д゚lll)
それを言われた時ハッとした。
あ、モヤモヤ悩んでても事態は何も変わらんし、別にこれ聞いてる相手にも何もいい影響与えへんし、かなり無駄やな(笑)って。笑
ほな、何でこんな無駄なことしてしまうねんろ、と、考えてみた。
悩む時って、基本的にその実態がわからないときやねんな。
相手がどう思ってるのか、とかいう、自分には分からない範疇のことや、
未来についてどうしよう、とかいう、誰も分からないことや…。
分からないから、動けない。動けないから、変わらない。変わらないから、分からない…
え、悩むってことしてたら、一生変わらへん(笑)
つまり、悩むっていうのは、それに対するアクションを起こす勇気がないから、起こってしまう事象なんやと思ったのね。
動いてみるって、確かに勇気いる。だって、間違った行動かもしらんし。
でも、上で書いたこと考えたら、よっぽど何もアクション起こさへん方がリスキー。だって、ずっと悩みの連鎖を断ち切られへんねんもん。
何も変わっていないことに対して、あれやこれやと悩むくらいやったら、一旦仮設して動いてみたらいい。んで、もしミスったら早めに軌道修正したらいい。
難しいようやけど、「悩む方がリスキー」って理解しとけば、意外と動ける…かも٩( ᐛ )و
習慣にすることの難しさ
昨日、投稿できひんかった。
やからゆーて、今日2つ書いたらチャラってわけちゃうねんけど(笑)、続けられへんかった理由を考えてみる。
「今までしてなかったことを習慣にするって難しい」
って思ってる(笑)
私自身、とても続かない人。ダイエット、読書などなど…。
やれば、自分のためになると何となくは分かっていても、続かへん。
なんでか。
多分、原因は2つあって
・自分のなりたい姿と、目の前のすべきこととをリンクさせられてない
・自分はどういう状況のときに、続けられへんくなるかを理解出来てない
やと思う。
例えば、ダイエット中の食事制限。
どうしても、食べたいという欲求が先立ってしまって、食べてへんことが苦になる。
でもそこで、「ビキニ着て堂々といられる自分」の想像が出来たら、乗り越えられると思う。
とはいえ、我慢しすぎたらイライラしてくる。
そこで、どか食いしたら、全てが水の泡。
せやし、そーならんようにも、自分がどんなときに、どんなものを食べたい!ってなるのか、食べてしまうのかを知っておく。
例えば、仕事終わりはどうしても脂っこいものが食べたくなるとしましょう。
それを、ちゃんと理解してたら、仕事終わり駅まで走ってみたりする。運動をすると、あまり脂っこいものを体は求めない(らしい)。
そうやって、続かなくなってしまう原因を、予め潰すような計画を立てると、続けやすい。
私の日記でいうと、日記という、思考の言語化を繰り返すことで、自分の感じたこと・考えたことを相手に伝える力が身につく。
そして、それによって、人と対話をするときに、相手の頭にイメージが湧きやすいような話し方が出来る。
また、脳みそが言語化することに強くなり、相手がぼんやりとした話をしてきても、それを言葉に整理し直してあげることが上手くなると思う。
それは、営業でも採用でも、必要な力やし、
最終、私がカフェを開いて、お客様がお店に来たとき、「ここに来たら、クリアな気持ちになれる」と言ってもらえるような、そんなカフェを作るとかが出来る。
そんな、最終のカフェのイメージを、持ち続ける必要がある。
そして、私が記事を書かないときは、睡魔に負けちゃうとき(笑)
基本、通勤の時間を活用しようときてるねんけど、電車座ったらほとんど寝てしまうのね。
やから、それ防止のためにも、記事書くために座らない、とかするといいかな、と。
…。
す、座らへんの、まぁまぁ地獄やな( ; ; )笑