「いる」ということの有難さ、面と向かって「有難う」を伝える大切さ
昨日、おじいちゃんが天国に持っていくためのお手紙を書いていた。
思い返すと、おじいちゃんは私の喜ぶ姿を見るために、たくさん顔を合わす時間をとってくれ、そして私が笑顔になる瞬間を喜んで見てくれていた。
そうやって、私に時間を割いてくれたこと、脳裏にしっかり笑顔が焼きつくほど笑顔でいてくれたことに、有難う、と思った。
でも、私はその時その時、心の底から有難うと感じ、そして「有難う」と伝えられていたかと聞かれると、正直自信をもって「うん」とは言えへん。
何故か?
それは「おじいちゃんが顔を合わす時間をとってくれてる」=「そこにいる」ってことを、当たり前やと勘違いしてしまっていたから。
でも、ちゃう。
おじいちゃんが、私に対する愛情を伝えるために、ちゃんと時間をとってくれたからこそ、顔を合わせることが出来る。おじいちゃんがその行動を起こしてなかったら、叶わへんかったこと。
これって、めっちゃ有難い。「いる」ってことが、もう有難い。
じゃあ「有難い」ってことを気付けたとしても、面と向かって「ありがとう」って言うのはちょっと小っ恥ずかしかったりする。
でも、その時を逃したら、次会うときはその人はご遺体になってるかもしれへん。
人なんて、いつ死ぬか分からん、老若男女問わず、誰もがそう。
その瞬間の小っ恥ずかしさ、か、
失ってからの後悔、か、
どっちをとるかね。私は断然前者かな。
面と向かって心込めて「有難う」を伝えな、意味がないんやな、って思いました。
せっかくおじいちゃんが教えてくれたんやから、明日からは、大切な人がいてくれることに感謝して、きちんと「有難う」が伝えられるように生きようっと。