てくてく、歩む

家のようにあたたかく、家族のような会話が生まれる、そんなお店の開業を目指しながら、現在は不動産会社で営業と人事のお仕事をしています。平凡サラリーウーマンから夢を叶えるまでの、道のり日記✍️

リラックスして話せるときと、話せないときの違い。

リラックスして話せるときって、自分が受け入れられていると感じるとき。

リラックスして話せないときって、相手に評価されている感じがするとき。

 

な、気がする。

 

これは、実体験としてもそうやし、昨日友人の話を聞いて思ったことでもある。

 

では、評価されている/されていないという感情の違いを作る、会話の違いは何なんやろう。

 

要素はいくつかあると思う。

 

①相手が、人を優劣つけて話していると、話しづらく、そうでないと話しやすい

②相手が、相手自身の優劣をつけるような話をしてくると、話しづらく、そうでないと話しやすい

③相手が、自分に対して気を遣っていると感じると、話しづらく、そうでないと話しやすい

 

こんなところかなぁ

 

多少、「立場」というものもあるかもしれへん。

でも、世間的に凄いと言われる人であっても、何でかめっちゃフランクに話せる人がいたりする。

 

それは多分、その人のコミニケーションの取り方が大きく影響してるんやろぉなー。

 

3つの要素挙げたけど、ほなそれは何によって生まれるのか。相手にリラックスして話してもらうためにはどうしたらいいのか。

 

①人に対し、優劣をつけることをしない。

足りてないところがあったとしても、あくまでもそれは「足りてない」だけであり、その人が劣っているわけではない、という認識のもと過ごす。そして、そのような感覚をもって人と接していることが分かるような話をする。

 

例えば、仕事が出来ない部下についての話題になったとする。その時、「こういう点で仕事が出来てへん」っていう話をするんは、別にええと思う。

 

ただ、その次に「やからあいつはあかんねん」とか、「あいつおらん方がええわ」みたいな話はいらん。てな具合。

 

②自分自身に対しても、優劣をつけへん。

誰かより凄かったり、誰かより劣っている、みたいな表現をせんし、思わん。「自分にはこういうところがある」っていう事実ベースで話をする。

 

③気を遣わない。

これが1番難しいと思う。(笑)そのためにも、相手が自分を好む/好まないに価値の所在を決めるのではなく、相手との会話を通して、各々何かしらの変化があること自体に、価値があるという認識をもつ

 

昨日の気づきは、そんなところ。