「過去」でも「未来」でもなく、「今」を生きる
今日だいごさんから、昨年採用してた時にどんなことを意識していたか、という話を聞いていた。
「未来の話はあまりしない、それよりも今をどうするかの話をする」
この言葉が、すごく自分の中にしっくりきた。
ちょっと昨日感じたことと、違うようで似ている。その感覚を文字にしようっと。
………
私たちは「過去」でも「未来」でもない「今」を生きている。
「将来こんな人になるんだ!」という夢を掲げることは悪いことではない。
ただ、そうやって「未来」に希望を持ち、今を諦めていると、もし明日命が尽きたとき、未練タラタラで死んでしまうことになる。
「こんな人でありたい」と思うなら、未来に先延ばしするんやなくて、今すぐ、少しでも近づくように動けばいい。
少しでも「今」が納得いく状態であるように。
1つ1つの、「今」の積み重ねが「未来の自分」でしかない。
てなったら、「今」どうありたいのか。そして「今」そんな自分であれてるか。なれてないなら何を変えなあかんのかを考えて、変えていく。
そうやって、少しずつ「今」を求める自分の姿の方へ変えていく以外に、「理想の自分」を叶える方法はないんやわ。
ここでのポイントは、「今」というのは、変えることができる唯一無二の存在やということ。
昨日、「自分の現在地ばかりを見るとしんどくなる。理想の自分になるために、周りの人巻き込みながら近付くんや」みたいなこと書いた。
確かに、何かを出来てへん自分って、見てるとしんどくなる。投げ出したくなる。でも、そこから「理想の自分」になれるかどうかって、「今」自分を変えられるかどうかにかかってる。
私たちは、「過去」でも「未来」でもない「今」を生きてるんやから、
夢を語ることも、もちろんいいけど、地に足つけて、「今」を積み重ねる。厚みのある人間であろうと、思わせてもらった素敵な夜でした。
人生は1次関数
昨晩、疲れていてバタンキューで寝て、今日は今まで眠さに耐えられず、家でダラダラしてしまっていた。
昨日あんな記事を書いていたのにもかかわらず、今朝は何だかアンニュイ。
たまった仕事のことを考えながら、「動きたくない」と「やらなきゃ」のはざまに立ち、ストレスを感じながらSNSを開き、楽しそうな人の記事を見て、負い目を感じる。
読みたかった本を読もうにも、睡魔に勝てずそれさえも出来ない。
うーん。困った。なんともリアルな現代を生きるサラリーウーマンだこと。
※本日はお仕事休みなんです。
ちょっと、客観的に自分が何でこんな現象に陥っているのか考えてみた。
①理想に近づいているという風に思えなかったから
目の前のやらなきゃいけないことに追われ、縦軸(時間)においても横軸(人とのつながり)においても、とても狭い範囲で自分を捉えていると、イライラはマックスになり、身動きが取れなくなってしまうんだと思う。
もっと、人生は面で考えた方がいいね。
理想の自分と今の自分とを、直線で結んだとき、
それは一次関数のように、縦軸と横軸があって、成り立っている。
縦軸は、時間。
横軸は、周りの人の協力。
今の自分ばかり見ていたら、ずっと私は0点時点で苦しまなければならない。
でも、これが時間とともに、周りの人の協力を得ながら、理想点Xに近づくのであればくすぶっていてもしょうがない。
行動しないと。
ありを
自分の弱さを受け止める強さ
ある学生さんとお話をしていたとき、すごく感動したことがありました。
その学生さんは、「自分の弱さ」を受け入れる強さをもっていました。
人は、自分を強く見せたいものだなぁと、色んな人と会話をしていて思います。
私も含め、自分の悪いところ、足りていない部分、弱いところを露呈することを恐れます。
しかし、その子は、前を向いているのです。
自分がもっと幸せになるためには、この弱いところや嫌な経験を引きずっていてもしょうがない。それらとどう付き合うかを考えよう。という思考なのです。
自分が幸せな生活を送るためには、自分が変えていかないと始まらない。
それを知っている彼女は、とても輝いていました。
正直、その子は、
例えば部活動や、学生団体、課外活動や留学など、学生時代に何か大きなことをしていたわけではありません。
しかし、自分の弱さと向き合い、克服するために、アルバイトやサークルで、コツコツと努力をして、自分の殻を破っていました。
そんな姿が、私はかっこいいと思いました。
何をしているか、は重要ではないと思う。
それよりも、自分の人生をより良いものにするべく、しっかりと1歩1歩前を向いて進んでいること、が大切なように思う。
言い訳は、もうやめよう。
目の前の1つを成功させること
最近、期末という時期になり、「焦り」ばかりが先走るような、そんな生活を送っていました。
しかし、今日、松永さんとやりとりをしているときに「目の前の1つがうまくいかないのに、全体がうまくいくわけがない」と言われ、ハッとしました。
全体を見据えること、これももちろん大切なのですが、目の前の1つ1つが出来ていないのに、焦ったところで足下すくわれる。
小さなステップを自分に設け、「今日はこれが出来た」「明日はこれが出来るように」「今週はこれが出来るように」と、積み上げられるように、また頑張ろう。
信じるために、疑う
ちょっと、ショックなことがありました。
でも、有馬さんから言われた言葉を思い出しました。
「信じるために、疑う」
人を疑うことって、なんか申し訳ないなって思ってたから、この言葉は目から鱗やった。
相手を生半可な状態で信じてしまうと、裏切られて双方の関係が悪くなる。
それなら、信じ通すためにも、ちゃんと確認をする。そのために疑う。
大切やなぁ。
人の「欲」の1番奥にあるもの
とある学生さんとのやりとりの中で、「かっこいい大人になりたい」という学生さんがいた。今まで、自分の「かっこよくありたい」にすごく真っ直ぐに貪欲に突き進んできた子。
部活動で成績を残すことにコミットし、部長にもなり、人がついてきたという。
確かに、結果を残すことってかっこいい。
でも、「かっこよくありたい」の欲の奥にあるのって
「愛されたい」
な、気がする。
これは、その子に限った話ではなく、色んな人の「〜したい」の奥には、「愛されたい」っていうのがある気がする。
大富豪になりたい
オリンピック選手になりたい
パティシエになりたい
etc...
「愛されたい」の欲求には、全く関係なさそうなこれらも、結局は手段でしかなくて、
大富豪になりたい人は、大金を得ることで自分が人から注目を浴びると思っている
オリンピック選手になりたい人は、自分が好きなスポーツで輝くことにより注目を浴びると思っている
パティシエになりたい人は、美味しいお菓子を提供することで、愛されると思っている
みんな、自分が知っている「愛されるための手段」を使おうと、日々生きているんじゃないかなぁ。
………
便利な世の中になり、人と人との繋がりが薄れてきたこの世の中。昔は、そんなに自分をPRしなくても、生まれながらにして横の繋がり・地域の繋がりが、根付いていた。
しかし、より個人単位となった現代社会において、「繋がり」や「愛情」を感じにくくなり、人々は何とかして自分に注目を向けようと躍起になるようになったんじゃないかな。
だからこそ、突拍子も無い信じられない事件が起こる。そうすることにより、注目を浴びるために。
心の中のコップが干からびており、人に愛情を注げるだけの精神状態じゃ無いから、すぐに「キレる」。
もっと、横の繋がりが豊かになれば。
もっと、他に「愛される方法」を知っていれば。
変な事件なんか、起こらないやろうになぁ。
いつやったかなぁ。ある時ふと、悲しくなったことがあった。
「なんか、世の中愛情不足やなぁ」って。
いつ、何で、何に対してこれを思ったのかは、すっかり忘れてんけど、ぼんやり思った記憶がある。
なんか、そんな世の中をちょっとでも変えられたらな、って思うのです。
…。変人かもしらん。(笑)
人は、とやかく言うもんやなぁ
私は、良くも悪くも色んな人の話を聞き入れてしまいます。
そんな中、ふと思ったことが1つ。
私も含め、世の中みんな、自分の立場からしか話をしない。普通のことなんやけどね。
「あいつはどーや、こーや」という人ほど、その「あいつ」に、どーやこーや言われてる印象。
みんな、好き勝手言ってるのよね。
人って、そんなもんかなぁと。
過去に、いじめられたことがあり、そのときに「周りになんて言われるか」が、怖くなり、言動することが怖く、人を信じられなくなる時があった。
ある意味その感覚は正しかったかな、と。
何かと言うと、「周りは必ず何か言う」ということ。
でも、言われてるほど「自分」は注目はされていない。
あくまで、皆、個々人が「自分の考えの正しさ」をアピールするために、その手段として人を愚痴を言っているだけの話。ベクトルはその「あいつ」に向いてるようで向いてない。
どうせ何か言われるのなら、周りから何か言われても突き通したいと思うことを大切にもっておくべきかな、と思った。
だって、自分の人生やもん。