てくてく、歩む

家のようにあたたかく、家族のような会話が生まれる、そんなお店の開業を目指しながら、現在は不動産会社で営業と人事のお仕事をしています。平凡サラリーウーマンから夢を叶えるまでの、道のり日記✍️

削ぎ落として、整える

昨日、マツエクを取り外してきた。

 

両親や、祖父母に「マツエクない方がいい」と言われても、正直「はいはい」と聞き流していたのですが(笑)、

 

先日、とても信頼を置いてる、化粧品会社で美容部員として働いている友人にも、「絶対ない方がいい」と言われたので、取ってみた。

 

そして鏡を見てみたら…

 

物足りない( ;  ; )

 

今までフサフサに生えていた(移植していた)まつけがなくなり、マツエクシックに。

しかし、友人にも両親にも「丁寧に化粧をすれば、絶対にいいから」と言われ、昨晩は目元周りのマッサージをし、今朝いつもの何倍も丁寧にアイメイクをしました。

 

そしたら、すごく自然やな仕上がりになった…!物足りひん思ってたけど、なんか、こっちの方が私らしいなって感覚。しっくりくるというか。

 

これって、まつげに限ったことではないんかなぁと。

 

今の時代、お金さえ出せば何でも手に入る。でも、だからこそ1つ1つを丁寧に扱うことが薄れていってしまっている。

 

もっと!もっと!と、よく任せにあれやこれやと手に入れた状態は、重い鎧を被っているよう。

 

それって、何だか不健全やないかな。

 

身の回りにある「もの」「こと」を丁寧に丁寧に使って、長く一緒にいることの方が、よっぽど自分らしくていい気がする。

 

ということで、これからはしばらくマツエクフリーで生活します(^_^)

 

「悩む」をやめるには

「悩む」時間って、すんごい無駄やなぁ。と。

 

私は、結構色んなことにクヨクヨ悩みがち。笑

もっとこうしたいのに…とか、本当はどうなりたいんだろう?とか、どうしていけばいいんやろ…とか。笑

 

そしたらある日、言われました。

「よくモヤモヤ悩んでるよな」と。

 

Σ(゚д゚lll)

 

それを言われた時ハッとした。

あ、モヤモヤ悩んでても事態は何も変わらんし、別にこれ聞いてる相手にも何もいい影響与えへんし、かなり無駄やな(笑)って。笑

 

ほな、何でこんな無駄なことしてしまうねんろ、と、考えてみた。

 

悩む時って、基本的にその実態がわからないときやねんな。

 

相手がどう思ってるのか、とかいう、自分には分からない範疇のことや、

未来についてどうしよう、とかいう、誰も分からないことや…。

 

分からないから、動けない。動けないから、変わらない。変わらないから、分からない…

 

え、悩むってことしてたら、一生変わらへん(笑)

 

つまり、悩むっていうのは、それに対するアクションを起こす勇気がないから、起こってしまう事象なんやと思ったのね。

 

動いてみるって、確かに勇気いる。だって、間違った行動かもしらんし。

 

でも、上で書いたこと考えたら、よっぽど何もアクション起こさへん方がリスキー。だって、ずっと悩みの連鎖を断ち切られへんねんもん。

 

何も変わっていないことに対して、あれやこれやと悩むくらいやったら、一旦仮設して動いてみたらいい。んで、もしミスったら早めに軌道修正したらいい。

 

難しいようやけど、「悩む方がリスキー」って理解しとけば、意外と動ける…かも٩( ᐛ )و

習慣にすることの難しさ

昨日、投稿できひんかった。

やからゆーて、今日2つ書いたらチャラってわけちゃうねんけど(笑)、続けられへんかった理由を考えてみる。

 

「今までしてなかったことを習慣にするって難しい」

 

って思ってる(笑)

私自身、とても続かない人。ダイエット、読書などなど…。

 

やれば、自分のためになると何となくは分かっていても、続かへん。

 

なんでか。

 

多分、原因は2つあって

・自分のなりたい姿と、目の前のすべきこととをリンクさせられてない

・自分はどういう状況のときに、続けられへんくなるかを理解出来てない

やと思う。

 

例えば、ダイエット中の食事制限。

どうしても、食べたいという欲求が先立ってしまって、食べてへんことが苦になる。

でもそこで、「ビキニ着て堂々といられる自分」の想像が出来たら、乗り越えられると思う。

 

とはいえ、我慢しすぎたらイライラしてくる。

そこで、どか食いしたら、全てが水の泡。

せやし、そーならんようにも、自分がどんなときに、どんなものを食べたい!ってなるのか、食べてしまうのかを知っておく。

 

例えば、仕事終わりはどうしても脂っこいものが食べたくなるとしましょう。

 

それを、ちゃんと理解してたら、仕事終わり駅まで走ってみたりする。運動をすると、あまり脂っこいものを体は求めない(らしい)。

そうやって、続かなくなってしまう原因を、予め潰すような計画を立てると、続けやすい。

 

私の日記でいうと、日記という、思考の言語化を繰り返すことで、自分の感じたこと・考えたことを相手に伝える力が身につく。

 

そして、それによって、人と対話をするときに、相手の頭にイメージが湧きやすいような話し方が出来る。

 

また、脳みそが言語化することに強くなり、相手がぼんやりとした話をしてきても、それを言葉に整理し直してあげることが上手くなると思う。

 

それは、営業でも採用でも、必要な力やし、

最終、私がカフェを開いて、お客様がお店に来たとき、「ここに来たら、クリアな気持ちになれる」と言ってもらえるような、そんなカフェを作るとかが出来る。

 

そんな、最終のカフェのイメージを、持ち続ける必要がある。

 

そして、私が記事を書かないときは、睡魔に負けちゃうとき(笑)

基本、通勤の時間を活用しようときてるねんけど、電車座ったらほとんど寝てしまうのね。

 

やから、それ防止のためにも、記事書くために座らない、とかするといいかな、と。

 

…。

 

す、座らへんの、まぁまぁ地獄やな( ;  ; )笑

人がお金を払うとき

昨日の営業、反省点が多かった。

 

お客さんが口にする、「条件」…例えば、日当たり、駅近、価格についてのみ話しすぎて、そこでどんな生活が送れるのか、ということをあまり言及できていなかった。

 

人は、「その商品サービスを通じて、自分の求める姿や生活に近づけると感じたとき」に、お金を払うと思う。

 

例えば、目の前に100円のオレンジジュースと500円の水が置いてあったとする。

 

何もなければ、大概の人がオレンジジュースを買うと思う。

 

でも、これが、ダイエットセミナーをお金を出して受講した人たちが、セミナー中に「水を飲めば痩せる」と聞いていた後だったら、どうやろ。

 

多分、多くの人が水を買うと思う。

それは、水を買うことによって痩せらということのイメージが湧くから。

 

せやし、それが家にせよ服にせよ食べ物にせよサービスにせよ、

 

お金をかけることによって、どのような生活が手に入るかを、イメージさせる力が、営業に必要。

 

そして、そのイメージがお客様の求めるものでないといけないから、お客様がどんな価値観をもっているかを、しっかり聞き出さなあかん。

 

あ〜昨日はあんまよくなかったな。

はよリベンジしたい!

「言葉」は、氷山の一角にすぎない

昨日、旦那さんとちょっとしたことで言い合いになった。

 

旦那さんのちょっとした一言に、私が敏感に反応してしまって。

 

でも、会話が終わるときには、自分のコミニケーションの取り方に反省した。

なんでかゆーと、対話を通して、その言葉の裏にある考えを聞いて、私の受け取り方とのGAPがあると分かったから。

 

(改めて、対話をやめようとせず、とことん話をしようとする旦那さんには感謝やわ)

 

同じ言葉を使うにしても、そこに込められている考え・気持ちは人それぞれ。その言葉の背景にどんなことが隠れているかを、対話を通じて理解を深めることが大切。

 

極端な例をあげると、

「Aさんはブス」という言葉。

 

この言葉を、言葉通りに受け止めると、単にAさんが外見の面で劣っていると思っており、Aさんを卑下してることになる。

 

しかし、どやろ。

世の中にはまーまー可愛いのに、ブスと言っていじられる人がいたりする。

そういう言葉を使っていじられるキャラの人やっておる。

単に、Aさんのことが好きだけど、それを悟られたくないBくんが必死に嘘をつくことやって、あるんやろーね。笑

 

てなったら、「Aさんはブス」という表現をされたときに、その言葉通り受け止めてたらあかん。

せやなくて、相手がどんな思考の流れからそのような表現をしたのかを、理解しようとすることが大切…

 

な、気がする☺️そんな昨日でした。

 

リラックスして話せるときと、話せないときの違い。

リラックスして話せるときって、自分が受け入れられていると感じるとき。

リラックスして話せないときって、相手に評価されている感じがするとき。

 

な、気がする。

 

これは、実体験としてもそうやし、昨日友人の話を聞いて思ったことでもある。

 

では、評価されている/されていないという感情の違いを作る、会話の違いは何なんやろう。

 

要素はいくつかあると思う。

 

①相手が、人を優劣つけて話していると、話しづらく、そうでないと話しやすい

②相手が、相手自身の優劣をつけるような話をしてくると、話しづらく、そうでないと話しやすい

③相手が、自分に対して気を遣っていると感じると、話しづらく、そうでないと話しやすい

 

こんなところかなぁ

 

多少、「立場」というものもあるかもしれへん。

でも、世間的に凄いと言われる人であっても、何でかめっちゃフランクに話せる人がいたりする。

 

それは多分、その人のコミニケーションの取り方が大きく影響してるんやろぉなー。

 

3つの要素挙げたけど、ほなそれは何によって生まれるのか。相手にリラックスして話してもらうためにはどうしたらいいのか。

 

①人に対し、優劣をつけることをしない。

足りてないところがあったとしても、あくまでもそれは「足りてない」だけであり、その人が劣っているわけではない、という認識のもと過ごす。そして、そのような感覚をもって人と接していることが分かるような話をする。

 

例えば、仕事が出来ない部下についての話題になったとする。その時、「こういう点で仕事が出来てへん」っていう話をするんは、別にええと思う。

 

ただ、その次に「やからあいつはあかんねん」とか、「あいつおらん方がええわ」みたいな話はいらん。てな具合。

 

②自分自身に対しても、優劣をつけへん。

誰かより凄かったり、誰かより劣っている、みたいな表現をせんし、思わん。「自分にはこういうところがある」っていう事実ベースで話をする。

 

③気を遣わない。

これが1番難しいと思う。(笑)そのためにも、相手が自分を好む/好まないに価値の所在を決めるのではなく、相手との会話を通して、各々何かしらの変化があること自体に、価値があるという認識をもつ

 

昨日の気づきは、そんなところ。

 

 

 

 

「有意義な時間」と思ってもらうのに必要な要素

毎日、気づいたこと感じたことを、書いていく。

 

書くというアウトプットをすることで、自分の血となり肉となりますように🍖

 

人が「有意義な時間だった」と感じる時について

 

人って、自分の「〜〜たい」という願望・理想に対して、「私にもそれが実現出来るかもしれない」という可能性を感じる話をされた時に、その時間を「有意義な時間だった」って言うのかもしれない。

 

昨日、イベントで知り合った社外の人事の人と話をした。

 

私の願望は、
・面談後、就活をしている学生さんが、面談に対して「価値のある時間だったな」って思っくれる
・かつその中で自社に来て欲しい子がいたら、ちゃんと来てくれるだけグリップできる
ということを兼ねそろえた人事になりたい、ということだった。

 

まずは、その考えを聞き入れてくれて、その上で、「これなら私にも出来そうだな」と思えるような解決策を、シンプルな言葉で、具体的体験談を用いて話してくれた。

 

シンプルな内容だからこそ、私にも出来るかもと思える。
具体的体験談を通して疑似体験をするからこそ、イメージが湧く。
そしてそもそも、相手を否定しないというその方のスタンスが、もっと話したいと思わせてくれる。


その3つの要素が、今回「有意義な時間だった」と思える理由なんだろーなー、私も意図的にそんな時間を作っていこう。と思えました☺️